Interview
インタビュー

専務取締役 販売企画本部長
太田 正彦
1985年4月入社

入社の決め手を教えてください。

私は大学卒業後、新卒採用で東洋精器に入社しました。当時、男性の職種といえば営業職というイメージがありましたが、私自身は学生時代から前に出ていくタイプではなく、人と話をすることも苦手なほど引っ込み思案だったので、営業職には向いていないと感じていました。もともと芸術に関心があり、1人でコツコツできることが好きでしたが、専門学校に進学していたわけではなかったので、仕事にすることは難しいということも理解していました。やはり営業職が一番現実的な選択肢だという覚悟のもと就職先を検討していると、偶然東洋精器の求人が目に付きました。工具を使って組み立てたりばらしたりして仕組みがどうなっているかを調べることは好きだったので、自動車の整備機器を取り扱っている会社というところに興味を惹かれました。実際に話を聞いてみると、セールスエンジニアは、営業に加えてメンテナンスも担っているとのことだったので、営業にはまったく自信がありませんでしたが、メンテナンスなら自分にもできそうという印象を抱き、東洋精器で働きたいと思いました。

セールスエンジニアとして活躍されていた頃、どのようにスキルを磨かれたのか、
また、どのようにキャリアを積まれたのか教えてください。

担当エリアを持たせてもらうようになった当初、お客様は40代、50代の業界のプロばかりなのに対して、自分はまだ社会人としての経験も浅い20代前半で、何を話せばよいのか、どう売り込んでいけばよいのかわかりませんでした。どうやってその人たちに認めてもらおうかと考えた時に、メンテナンスの力を磨いて他の人の手が届かないところまでできるような唯一無二の存在になろうということを決意しました。
東洋精器の商品は、自社ブランドで出しているオリジナルのものと、仕入れたものの両方を取り扱っています。セールスエンジニアの多くは、オリジナル商品には力を入れる一方で、仕入れ商品に関しては知識をつけていなかったり、修理も外注に出したりしていました。そんな中、私は業務の間や休日に外注先に足を運んで修理方法を直接教えてもらい、知識をつけていきました。 相談や依頼を受けた際にその場ですぐに直すことができ、すべて自分で完結させることができるので、お客様からもこの人に頼めば必ず直してもらえる、何でも知っているという信頼を寄せてもらえるようになったと自負しています。

もちろん悔しい思いをした経験もあります。タイヤショップ様に機械の売り込みに行った際、偶然にも競合他社のベテランのセールスの方と同じタイミングになったのですが、私は自分から売り込んでいくこともできず、隣で他社が商談をまとめているのを見ていることしかできませんでした。もう二度と同じ経験をしたくないと思い、力を入れていたメンテナンスをもっともっと極め、誰も追いつけないぐらいの技術力で勝負しようと決意しました。人と同じことをやっていても勝てないので、例えば新たなタイヤショップ様の立ち上げに携わらせていただくことになった際には、本来であれば様々な専門の業者の方に任せるようなことも、すべて自分でもできるようになろうと決めました。
プロと同じ仕上げで、同じスピードでできるよう、見様見真似で必死に覚えました。そうしているうちに、メンテナンス力を認めていただき、お客様のほうから相談してくださる回数も目に見えて増えていきました。お客様から話しかけてくださる機会が増えたことで、お客様が何を求めているのかを理解でき、自分から話しかけることもこわくなくなりましたし、信頼関係ができた上での商談だったので、成約率も自然と高くなりました。

入社3年目には担当エリアが変わりましたが、私はあえて新規のお客様のところに訪問させてほしいとお願いしました。いきなり完全アウェーな場所に訪問することは勇気がいることでしたが、新規のお客様の場合、もし上手くいかなかったとしてもマイナスになることはなく、むしろ様々な経験値を得られると前向きに捉えていたので、自分自身の営業面でのスキルアップのためにも挑戦したいという思いでした。最初は挨拶をしても返してくれないお客様が多くいらっしゃいましたが、どうすれば反応してもらえるようになるのか、もっとお客様から話してもらえるようにするにはどうすればよいのか、常に考えながら行動していました。そのような日々を繰り返すうちに、自分でも気づかないうちに自然とお客様とのコミュニケーションのノウハウが身についていったように思います。

会社の事情もあり、入社4年目には所長を任せられることになりました。まだノウハウも指導力も未熟な自分に何ができるのかと悩んでいた時、私の性格をよく知り、私が信頼を寄せてよく相談していた重役から「周り(競合他社や社内の他の所長たち)を武将と思ってあなたは智将になりなさい」と言われました。智将とはどのような存在なのかを考えた末、周りが思いつかないような、容易に真似できないようなことを実行するチームをつくろうと決意しました。
所長になっても自分なりのやり方を貫くという考えは変わらず、部下に対しても、各々の得意分野を伸ばすように指導していました。いきなり苦手なことに挑戦するように言ってもプレッシャーを与えるだけなので、最初は得意なことを伸ばして自信をつけた上で、徐々に苦手なことも克服してもらうようにすることで、自然と何でもできるようになるというのが理想でした。各々に目標を設定して行き詰まったと思うタイミングで手を貸し、次のステップを示すということを繰り返して効率よくレベルアップしてもらえるよう、一人一人の特性にあった指導方法を心がけていました。お客様先訪問にも極力同行し、私が目の前で実際にやってみて覚えてもらうようにしていました。その後、1人で訪問してもらう機会も重ね、お客様と担当者の間に信頼関係ができてくると、私が同行した場合でもお客様は担当者の方に常に視線を向けるようになるので、その関係性を目にした時を安心して任せられる基準と判断していました。
約6年ほどかけて、社歴に関係なく営業所内の誰が訪問してもお客様への対応が一緒になる、まさに金太郎飴のような状態をつくりました。そうするとお客様からの信頼も厚くなり、ご依頼も目に見えてどんどん増えていきました。ご依頼が増えることに伴い、ご依頼の内容もどんどん多様化していくため、期待にお応えするためにさらに自分を含めたチームスキルを上げていく必要がありました。今思い返しても忙しい日々でしたが、チームのみんなに対して「東洋精器さんに頼んでよかった」とお客様から嬉しい言葉をかけてもらうことが圧倒的に多くなり、お客様からの信頼を得られていることが実感できました。それに加え、自分たちは他社に絶対負けないという自信も大きくなり、営業所内の全員がやりがいを感じながら日々取り組んでくれていたと感じています。

もともと自分に厳しく、険しい道を選ぶ性格でしたか。

様々な目的に対して常に楽な道を選択することはなく、あえて多くの人が選ぶだろうアプローチとは異なる視点や方向からのアプローチを選ぶことが多かったですが、このような考え方になったのは東洋精器に入社してからです。もともと私は何か特別なことができるわけではなく、人より優れたところがあるというわけではないという思いがずっとあり、他人と同じやり方や選択では他人より優れた結果は出せないと考えていました。自分に自信はないながらも、人一倍負けず嫌いという面もあり、難易度は高いが得られる成果も大きい道へ挑戦することを考え続けてきました。改めて振り返ると、こうして経験を重ねたことが自分の財産となり、自然と幅広い対応力が身についたと感じています。自分の経験をもとに知識やノウハウを伝えつつ、私自身も吸収し続ける姿勢をいつまでも忘れないようにしたいです。そして、100年続く企業を支える一員として会社の未来を担ってくれる人材を育てていきたいと思います。

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